ファッションディレクター・スタイリスト
長谷川昭雄の
第二回
VAN、裏原、そしてAMETORA。
デーヴィッド・マークスさん
会社員/ライター
今シーズンのモデル 8 人に、
スタイリスト長谷川昭雄が気になることを
聞いてみる対談シリーズ。
第2回は、『AMETORA』の著者でありライターの
デーヴィッド・マークスさんに聞いてみました。
長谷川昭雄
デーヴィッドさんは、そもそもどうして『AMETORA』を書くことになったのかな?
デーヴィッド・マークス
2010年にアメリカで『TAKE IVY』の英語版が出たんです。アメリカのファッション業界で密かな人気があって、オークションサイトで3〜4万になっていたから、出版社が英語版でも出そうと思ったみたいで。
長谷川
そうなんだ。
デーヴィッド
その頃、僕は日本で働いていて。ある日、『Brift H』(ブリフトアッシュ)っていう靴磨き屋さんに行ったら、お客さんと『TAKE IVY』の話やVAN創業者の石津謙介さんの話で盛り上がったんです。その方はVANで働いていらした方で、息子の石津祥介さんを紹介してくれて、貴重なお話をたくさん聞くことができた。その時、『TAKE IVY』の弟版を作ったら面白いんじゃないかと思いついたんです。なぜ1965年に、日本人がわざわざアイビーリーグキャンパスまで行って撮影をしてあの本を作ったのか、誰も知らなかったから。それで、「日本のアイビーの歴史について本を書きたいんですけど」ってアメリカの出版社に相談をしたんです。
長谷川
へー
デーヴィッド
最初はアメリカで出版したんですけど、出版社からは、アイビーだけじゃなく、「日本のデニムはどうしてあんなにクオリティが高いのか」といった話も書いてほしいと言われました。僕も、大学の卒業論文が裏原宿の〈A BATHING APE〉に関する内容だったので、日本のファッションについて書くなら“裏原”にも触れようと考えていた。そういった話をうまく繋げようと考えたんですが、調べるうちに全てが繋がっていることに気づいて。すごく面白かったです。
長谷川
いろいろと繋がるものだね。
デーヴィッド
例えばイラストレーターの小林泰彦さん。彼は日本で初めてジーパンを履いた世代で、『平凡パンチ』の初めてヒッピーのイラストルポを描いた。『メイド・イン・USA』『ポパイ』のメンバーでもある。小林さんを追うだけで60年代と70年代が全部繋がってくるんです。
長谷川
小林さんの本は俺もいくつか持っているけど、どれも面白いよね。ポパイをやってた頃はよく読んでいて、教えられたことも多かったなぁ。昔のファッション書籍は面白いものが多い。デイビッドさんの本は、今の時代だと断トツに面白いと思う。本屋さんの「ファッション」のコーナーに行っても、こういう洋服の近代史を書いた本ってないよね。服の歴史を説明するとなると、ナポレオンくらいから70年代くらいまでの資料ならあるけど、近代の話を書いた本はないんじじゃないかな。これってどうやって調べたの?
デーヴィッド
雑誌です。国会図書館に行くと大体のものがあります。『スキーライフ』はなかったので買いました。
長谷川
えー、でも、日本語の資料を調べるのってすごい大変じゃない?
デーヴィッド
大学で学んだことが役に立ちました。僕は東洋学部だったので、4年間、秋学期も春学期も、月曜から金曜まで毎日必ず1時間は日本語の授業があったんです。苦労したけど、『AMETORA』で活かすことができました。
長谷川
そうだったんだ!?すごいね。それにしても、どうやったらあんな風にその場にいたかのように書けるの?
デーヴィッド
僕は「この年にこういう現象がありました、終わり」という書き方が嫌いなんです。文化は、様々な影響を受けて広がっていくもの。もっと複雑なはずなんです。だからとにかく資料を集めました。
長谷川
でも、どうやって集めたの?
デーヴィッド
まず『メンズクラブ』ですね。50年代からあるので、いい資料になります。しかも毎号当時を代表する著名人の対談が載っていて、みんなざっくばらんに話すので、当時の考えがよくわかるんですよ。『TAKE IVY』の著者のひとり、くろすとしゆきさんなんかはほとんど毎月出ていましたしね。
長谷川
確かに。何気ない会話から得るものは多そうだね。
デーヴィッド
あとは『証言構成『ポパイ』の時代―ある雑誌の奇妙な航海』という本で、小林泰彦さんや当時のポパイ編集部の人たちのコメントを拾ったり。知りたい情報に抜けがあったら、誰かに取材に行って。
長谷川
そうやって肉付けをしていったんだ。
デーヴィッド
はい。どうして石津さんはVANを作ったのか、どうしてアイビーを日本に持ってきたのか、僕が注意したのはそこでした。本に登場する人たちが、どうやってその決断をしたのか、その意思決定まできちんと説明したかった。そうすれば、読者がこの本をひとつの物語として読んでくれると思ったんです。
長谷川
うん、本当に小説みたいに読めたよ。デーヴィッドさん自身は、どういう流れでアイビーや裏原に興味を持つようになったの?
デーヴィッド
アイビーというと、みんなニューイングランドとかニューヨークを想像すると思うんですが、80年代にもなると流石に着なくなっていて。でも僕が生まれ育った南部には、まだプレッピーっぽい要素が残っていました。みんな紺ブレとチノパンを着てたし、僕のクローゼットも普段着のポロばっかり。なんとなくで着ていたけど、僕はあんまり南部っぽい性格でもないし、自分のアイデンティティを全然表現できないと思っていました。
長谷川
どんな服を着てたの?
デーヴィッド
ニルヴァーナみたいなオルタナティブロックが好きだったから、チノパンにダイナソーJr.のTシャツ。あとは〈Dr.Martens〉の白い靴に短パンみたいな、全然よくないファッション(笑)。それが、大学生の時に初めて日本に行って、みんなものすごくおしゃれでびっくりした。当時の裏原ファッションの定番はTシャツ、ジーパン、スニーカーなんですが、日本人は「このブランドにこのブランドを合わせるとおしゃれになる」という発想で服を選んでいた。その考え方はアメリカ人にしてみるとものすごく珍しいんですよ。
長谷川
そうなんだ!
デーヴィッド
アメリカ人こそTシャツとジーパンとスニーカーで生活しているけど、そんなの“ファッション”なんて思ってないんですよ。ただの普段着だから。
長谷川
なるほどねえ。
デーヴィッド
日本人のファッションの視点に驚いたんです。それで〈APE〉を扱う『BUSY WORKSHOP』に3時間並んでアメリカに戻って、ブルーの迷彩のトートバッグを肩から下げていたら「なんでそんな柄のトートを持ってるの?変な趣味」と言われて(笑)。
長谷川
(笑)。ていうか、デーヴィッドさんサイズの〈APE〉、あったんだね。
デーヴィッド
ええ。当時僕はすごく痩せていて、Mサイズで大丈夫だったんです。身体がすっごく薄かったから。
長谷川
着丈は大丈夫だったの?
デーヴィッド
ちょっと短いくらいですね。上半身はわりと普通なんです。たまに「デーヴィッドにネクタイ作ってあげたよ」って長いネクタイをプレゼントされることがあるんですけど、上は一緒だよって。下が長いだけだよって。
長谷川
そうなんだよね。着丈は普通で、手と脚が長いだけなんだよね(笑)。でも本当にいいタイトルだよね、『AMETORA』って。
デーヴィッド
当初出版社に見せた時は、「誰も『AMETORA』なんて知らないから別のタイトルがいいよ」って言われて、色々試行錯誤して「アメリカンスタイルの文化史」みたいなタイトルを考えていたんです。でも出版前にメールが来て、「やっぱり『AMETORA』で行きます」って。そのかわりサブタイトルを付けましょうと。それで「How Japan Saved American Style」を添えました。日本はアメリカでは失われたアイビー文化を“保存した”し、アイビー文化を“救った”。“Saved”にはこの二つの意味があるからぴったりだなと。
長谷川
日本版のデザインもすごくいい。
デーヴィッド
デザインは雑誌の『relax』でADをしていた小野英作さん。『relax』が大好きだったからすごく嬉しかったです。穂積和夫さんのイラストは、当初英語版で使う予定だったのですが、日本語版の表紙になりました。
長谷川
そうなんだよね。俺も、デザインは小野さんだったんだ!って、さっきクレジット見てびっくりした。“アイビーボーイ“がこんなにいるなんて豪華だよね。描き下ろし?
デーヴィッド
アウトラインに、服を上から別途描いていただいています。スタイリングは全部僕が担当して、迷彩を着せたり、AIRMAX 95を履かせたり。
長谷川
本当だ。デーヴィッドさんの好きな時代が投影されているんだね。
デーヴィッド
はい。穂積さんは初めて革ジャンのロックンローラーを描いたそうです(笑)。