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誰かに話したい!vol.13 記憶


皆さま、こんにちは!

店舗スタッフの石田です。


2021年が始まり、日常が落ち着いてくるかと思いきや、

またしても首都圏では緊急事態宣言が発出され、働き方を変えていく必要性が出てきましたね。

とは言え、リモートワークが出来ない業界の方も多くいらっしゃると思います。

いつも以上に体調には気をつけてくださいね。


さて、今日のBLOGは、UNBUILTや洋服に関すること、おすすめアイテムやお客様とのお話でもありません。

ただ、今の時期だからこそ書いておきたいことを書きます。

なので、流し読み程度で良いです^^;




※淡路島から見た瀬戸内海



3日前の1月17日、阪神淡路大震災から26年が経ちました。

以前のBLOGでも触れたことはありますが、私は兵庫県神戸(明石)の出身です。

ちょうど1995年1月17日は大学3年で、就職活動をする年でした。


早朝でまだ就寝していたため、突然の大きな揺れにびっくりしたものの、逆に何が起こっているのか判断できず身動きが取れなかった記憶があります。

幸いにも私の自宅は震源地よりも西側だったので、タンスやピアノが倒れたり壁にヒビが入るくらいで半壊、全壊は免れました。

タンスやピアノの下敷きになっていたら怪我はしていたでしょうが、運も良かったのでしょう。。

かすり傷ひとつありませんでした。


私には2歳違いの妹が居るのですが、京都の大学に通っていたため祖父母の住む神戸市内に居候していました。

震源地の東側、最も被害が大きかった地域の周辺・・

母親の実家でもあり、すぐに電話をしてみるも繋がりません。

当時は携帯電話もなく固定電話しか連絡手段はありませんでした。


後々聞いた話では、その時間、妹と祖父は2階で就寝しており祖母は起きて台所に立っていたらしいです。

地震の揺れで2階への階段が崩れてしまい、二人は何とかして1階に降りてきたようです。

冬の早朝、着の身着のまま、まずは外に出ると周りの家や工場は倒壊し、下敷きになって泣き叫んでる人もいたと・・。

地面が割れ火の手が上がり、一瞬にして穏やかな生活は無くなったと聞きます。


私の住む明石から祖父母の住む神戸まで、通常なら電車で40分、車で約1時間。

朝のニュースで速報や映像は見るものの連絡も取れずの状態。

安否もわからないまま、私と母は車で祖父母の家へと向かいました。

神戸市内に向かう道路は寸断され、迂回をしながら北側の山道を抜けて何とか神戸市内に入りました。

5時間くらいは掛かったでしょうか。

祖父母の家に着くと今にも崩れ落ちそうな家屋。周りは瓦礫が散乱し子供の頃に遊んだ風景はありませんでした。

おそらく避難場所の公民館なども被害を受け、とても避難場所としては使えなかったのでしょう。

みんなが寒い中で家族の安否を探し求め、泣き叫び、倒壊した家の中から必要なものを取り出そうと必死になっている情景は今も忘れることはできません。


祖父母と妹が住んでいた近所には祖母方の親戚も住んでいました。

誰一人犠牲とならなかったのは奇跡的ではありましたが、思いもしなかった現実を目の当たりにして、親戚同士で身を寄せ合い今日をどう乗り切るか考えるしかなかったのかもしれません。


私と母は幸いにも合流することができ、まずは親戚含め、全員が無事だったことに安堵しました。

その後親戚とは一旦別れ、祖父母、妹を連れて明石の実家に戻ってきました。

もう夜も遅くなっていたと思います。

テレビでは被害状況が刻々と映し出されています。皆さんも見たことがあると思いますが、高速道路が横倒しになっているなど想像することもできません。家族全員が地震のエネルギーを感じさせられ、ただ映像を見て現実に起こったことを受け入れざるを得ない状態でした。

その晩はまだ余震もあったため、充分な睡眠は取れなかったと思います。


翌朝、私と祖母は家財道具や大切なものを取りに神戸の家に向かいました。

車は危ないと親に言われ、電車も止まっています。

移動手段は歩くしかありません。

道路に散乱した瓦礫を避け、余震で倒壊するかもしれない建物には近づかないようにひたすら歩きました。

距離にして33km、おそらく8時間くらいかかったのではないでしょうか。

確か、母親は昼間仕事に行かざるを得ず、仕事が終わってから車で神戸まで迎えに来てくれた気がします。

その後どのような精神状態で日々を過ごしていたのか、記憶は定かではありません。


しばらく明石の実家で祖父母含め生活をしていましたが、私も就職活動をしなければいけない時期です。

電車はまだまだ復旧しておらず、神戸は震災の影響で企業説明会を開催できる状態ではありません。

自ずと大阪で開催される説明会や面接に行かねばならず、妹と二人で京都に部屋を借り、そこから企業説明会に通うこととなりました。

無事に就職ができ、紆余曲折を経て今に至るのですが・・。

祖父母は神戸より少し離れた場所に自宅を持っていたので、そちらへ移り住みました。

家族それぞれが震災の記憶を胸に、いまを生きています。



阪神淡路大震災の経験から建物の耐震基準が見直されました。

でも、2011年3月11日 東日本大震災が発生し津波による多くの被害が出ました。

まだまだ完全ではないですが、復興しました。

そして昨年から続くコロナウイルス。

私たちはそうした災害、被害に打ち勝とうと立ち向かっています。

今はやりたいことをグッと我慢して、今までの日常を取り戻せるようにしたいですね。


あの時の記憶として、家族みんなで話せるように平穏な日常が戻ってくるといいですよね。



※淡路島から見た明石海峡大橋


今日は全く洋服のことやUNBUILTのことは書いていません。

今の時期だから話したかったことを書きました。

もしかしたら気分を害された方もいらっしゃるかもしれません。

この場を借りてお詫びします。



では、また。


石田



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